第七章 大きな黒い手が私の頭を抑えても

◯体が動かなくなる経験

私の社会人生活が始まる。私の最大の脱皮は社会人2年目に起こる。某ケーブルテレビ局に就職した私は、技術部に配属された。仕事の内容としては、ケーブル敷設の設計書のチェックや工事会社への指示などであった。

内定が一番始めに出た、というだけで決めた会社の仕事は自分に合わなかったように思う。というよりも、日々年上の先輩の顔色を伺い、ハムスターのような気持ちで仕事をしていたのを覚えている。怒られないよう、ミスしないよう、ビクビクしていたのだ。その結果、社会人2年目の春、私は適応障害を発症する。

適応障害はある日突然発症する。体が動かなくなり、朝、出勤しようにも布団から出られなくなる。脳みそを鷲掴みされるような窮屈で嫌な感情が頭の中を駆け巡る。そして、私の頭のなかに「大きな黒い手が私の頭を抑え得ている」イメージ画像が飛んで来るのだ。心霊でもスピリチュアルでもなく、そういうイメージが実際に飛んできたのを今でも覚えている。

会社に行かなければという気持ちと、行きたくないという本当の気持ちが拮抗し、その結果、心身に異常をきたした。適応障害はそうやって発症したのだと思う。会社に行けない日が3日続き、上司から精神科へ行くよう勧められる。そして私は適応障害と診断された。

◯回復の第一歩は仕事を忘れること

診断後、上司の家庭訪問を実施。今後のことについて相談した結果、一ヶ月の休職をとなった。その間は実家に帰り、療養することにした。日々苛まれ、これからどうしようかと悩むこともあった。しかし、時間が経つに連れて、なんとかなると思うようになった。それは病気がそれほど深刻でなかったということを表していると思う。不幸中の幸いだった。

療養中はとにかく遊びまくった。学生時代の友人とあったり、テレビゲームをしたり。仕事に意識を向けない努力をしていた。一時でも仕事のことを考えると、あの脳みそを鷲掴みされるような感覚になる。それを短い時間でいかに振り切れるかどうかが、この頃の課題だった。

一ヶ月の休職が開け、産業医との面談。しかし、まだ心は完全には回復していなかった。なので更に2ヶ月延長してもらった。そこから本格的に治療に入ることになる。やったことはシンプルで生活習慣を正すこと。決まった時刻に就寝。そして、起床。起きたら太陽の光を浴びる。日中は適度な運動をし、簡単な計算問題を解く。これを日々繰り返していった。その結果、私の誕生日である8月16日に出社できるまでに回復していた。

◯その一方で、なにも変わらない現状

出社当日は当然ながら心は穏やかではなかった。かなりビクビクしていたし、何をされるかわからない。時には「なんで休んだのか?」「だらしがないのではないか?」という声をかけられると本気で思っていた。

しかし、朝の朝礼が始まるといつもと変わらない風景があった。拍子抜けだった。朝礼で「渡辺さんが復帰しました。」という一言だけで、上司・先輩は各々の仕事を始めた。声をかけてくれたのは人のいい感じの先輩1人だけだった。

適応障害といえど、精神的な病気。一言も声をかけない職場の雰囲気。違和感というか、拍子抜けというか、なんとも言えない気持ちになった。その日は3,000枚の書類にただ判子を押すという仕事で終わった。これが大体一ヶ月続いた。個人的には療養のつもりでやっていたし、上司もまずは職場に慣らすという意味があったのだろう。

復帰して、仕事をして一日が終わる。やりたくないわけではないけど、自分自身の情熱を注げるものではない。そういう仕事内容をこれから40年続けることの意味。これを判子を押しながら考えていたものである。

 

 ◯まとめ

・心が病むと体が動かくなる。

・心身が疲れているときは休むに限る

・自分がどんな状況になろうと世界は良い意味でも悪い意味でも進み続ける

 

再び襲う黒い手と世界一周への序章へ続く