第一章:夢はプラネタリウムから

私は昔から理系人間だった。小学校のころは算数は好きだったし、誰より先にドリルを解いていた。クラスでも大体1番。

どこか他の人より早く解いてやろうという思いがあったように思う。私より先にドリルを解く子がいると、なんだか悔しく感じたものである。

さて、人生の始まりというものを、「自分の生きている意味を見つけた瞬間」だとするのなら、私は小学5年生のときに行ったプラネタリウムがそうだった。プラネタリウムというのは本来、星を映し出し、どこにどんな星座があるか、ということを説明する施設である。

しかし、私が行ったプラネタリウムは違った。星ではなくアインシュタインの相対性理論を説明しだしたのである。そのプラネタリウムでは「光の速さで人が動くと、周囲の時間が止まる」ということを言っていた。

子供ながらにちんぷんかんぷんで、何を言っているのかわからない。それと同時に、あまりの意味不明さに、心がわくわくしたのを覚えている。世界はまだまだ知らないことで満ちている…これは私が物理学を学ぼうと思うきっかけになった。

私達が住んでいる世界はあらゆることが物理法則に支配されている。テーブルからスプーンが落ちること。部屋の電気。そして、不思議なのは宇宙のどこに行っても物理法則は同じように作用する。地球と月と離れた場所でも、同じ物理法則が働いている。

普段、意識されない現実の中で数式化することで姿をあらわす物理。まさに物の理。これを解き明かしたいと思ったのは、星を映し出さなかったプラネタリウムのおかげというべきか、そのせいなのである。

◯昼休みに相対性理論を解く小学生

相対性理論ということを口にだすだけで、なんとなく周囲よりも頭が良くなったように見える思える自分がいた。人より知識があって、人よりもできること。そういったことに小さな価値を感じていたのかもしれない。

昼休みになると友達は運動場にサッカーをしにいったが、私はノートの切れ端に相対論の数式を書いていた。もちろん意味なんてものはわからない。大学生レベルの本を買ってもらったが、数式を書き写すだけ。

漢字もところどころ読めない。小学校の算数では当然、文字式なんてもは扱わないし、わかるわけがない。だけど、そんな本を持って、読んでいる自分の姿がどこか誇らしかった。

ある日、教室で相対論の式を書いている自分のところに先生が来たことがある。先生はまざまざと私のノートを見て「相対論!?」と大声で叫んだ。その驚きが、自分の中ではなんだか面白く、楽しくもあった。

もちろん、相対論の説明をするにも、私が「光の速さで動くと周囲の時間が止まるんですよ」ぐらいの知識がなかったし、質問されてもそれ以外の答えを持ち合わせていない。私の知識はハリボテだったが小学5年生にはそれでも誇らしかったのである。

◯目に見えないものへの興味と知的欲求

物理学と聞くとなんだか難しそう、と思うかもしない。確かに、物理学の言語は数学で、ほとんどが文字式で表記される。だが、そのシンプルな数式が、この現実のカオスな状況を表しているのだと思うと、なんとも言えないまさに「神性」とも言える感情を得る。

物体が地球に引き寄せられ、地面に落ちること。頭上で太陽が燃え続けていること(核融合反応)。すべてのことが数式で表せ、それでいて人間の及ばない力を持っている自然現象。その知的欲求を、私はすでに小学校5年生にして持っていたのかも知れない。

◯物理学以外は普通の小学生

何が普通かなんてことはわからないけれど、私は物理学に興味がある以外はどこにでもいる小学生だった。授業は真面目に受け、遅刻も一度もない。

運動はできたほうだし、友人関係も良好。その頃ハマったゲームは遊戯王と縄跳び。特に縄跳びは休み時間のほとんどをつぎ込んだ。私の小学校のブームだったように思う。2重飛びなんか100回は最低飛べるような子だった。

◯まとめ

  • プラネタリウムが少年の心に火をつけた。
  • 人に良く見られたいという下心のある子供だった。
  • 物事を考える癖は物理学から。