第十章 世界の広さと日本の恵み(カンボジア編)

私が乗船した第81回クルーズでは以下の国を回る。

  • 厦門(中国)
  • シンガポール
  • マーレ(モルディブ)
  • ポートルイス(モーリシャス)
  • トアマシナ(マダガスカル)
  • ダーバン(南アフリカ)
  • ケープタウン(南アフリカ)
  • ウォルビスベイ(ナミビア)
  • リオデジャネイロ(ブラジル)
  • ブエノスアイレス(アルゼンチン)
  • モンテビデオ(ウルグアイ)
  • ウシュアイア(アルゼンチン)
  • パタゴニアフィヨルド遊覧
  • バルパライソ(チリ)
  • カヤオ(ペルー)
  • イースター島
  • パペーテ(タヒチ)
  • ラバウル(パプアニューギニア)

そして、横浜に帰航する。

その他、オプショナルツアーとして、カンボジアにも行った。また、自分たちで一旦船を降り、次の寄港地で合流する旅もでき、その際にペルーのクスコ、マチュピチュ、ボリビアのラパス、ウユニ塩湖にも行っている。その中で私が印象的だった旅先の話をしたいと思う。

◯カンボジア

この旅で楽しみにしていた国の一つがカンボジアである。このツアーはピースボート独自のオプショナルツアーで目的はカンボジアの歴史を知ることにある。講師による座学、地雷博物館の見学、キリング・フィールドと呼ばれる大量虐殺現場の見学。そして、地雷被害者との面会がツアーの内容だった。

湿気あふれるプノンペン国際空港に降り立ち、カンボジアに着いた。到着は夜だったのでそのままホテルへ行き、その日は就寝。次の日からカンボジアの歴史を知る旅が始まる。

 ・キリング・フィールド

 キリング・フィールドとはその名の通り「killing field」と書く。ポル・ポト政権下、大量虐殺が実際に起こった現場である。今では寺院が立ち並び、死者の鎮魂の意味を込めているのだろうか、奥に進むと大量の骸骨が積み上げられているのを見ることができる。これが実際の骸骨だというのだから、言葉が出なくなる。

・カンボジアの地雷原

カンボジアツアーの最大の目玉。それは地雷原に入ることだった。現地で地雷撤去をしている団体の協力の下、地雷未処理の土地に入っていく。目の前にはドクロマークが書かれた旗が立っており、それより向こうは地雷撤去が済んでいない。地雷原には一本の道があり、そこは安全地帯となっている。しかし、その両脇は草が生えていて、その先に地雷があるかどうかがわからない。ないかもしれないし、あるかもしれない。そんな不安と恐怖の中、地雷原を進んでいく。

ふと先を見ると案内人が枝であるものを指し示した。それは今朝発見された未処理の地雷だった。側面が見える状態で埋まっていて、踏めば実際に爆発する。そんな、死と隣り合わせの野原があるのがカンボジアという国だった。

・地雷博物館

カンボジアの地雷博物館は撤去された地雷の現物が保管されいた。もちろん爆発はしないが、大小の地雷が無数に並べられている。この量でもほんの一部だというのだから驚きだ。そして、カンボジアには未だに400万~600万の地雷が埋まっているといわれている。

・地雷被害者との面会

地雷は悪魔の兵器である。地雷を踏んだとしてもその人を完全に絶命させるわけではなく、体の一部のみを吹き飛ばす。そうやって後々に後遺症を残すことが目的であるとも言われている。

たまたまという理由で地雷を踏んでしまった地雷被害者が、カンボジアにはたくさんいる。そんな人たちの自立と支援を行っている団体を見学させてもらうことになった。

彼らは腕や足の一部が欠損し、車椅子で生活している。主な収入源は民芸品を作ってそれを販売すること。そして、カンボジアの地雷問題を伝えるために、作られたペンダントには地雷の破片が埋め込まれている。

・当たり前の日常と感謝

ありきたりな感想になってしまうが、カンボジアに行ってみて当たり前の日常に感謝を抱くようになった。地面に地雷が埋まっている生活なんて日本では有り得ないし、それによって命や体の一部が奪われることもない。しかし、ほんの少し離れたカンボジアではそれが日常として、現実として今現在も問題として存在し続けている。

五体満足であること。安全に歩ける道があること。ただそれだけでどれだけ幸せなことだろうかと、カンボジアに行って思った。

第十章 世界の広さと日本の恵み(ウユニ・マチュピチュ編)へつづく