第八章 再び襲う黒い手と世界一周への序章

2012年の8月に適応障害から回復し復職。それから半年ほど同じ部署にいた。そして翌年の4月に管理部への異動を命じられた。これまでの技術系の仕事とは異なり、社内の備品、人事(そんな業務はやってなかったけど)、設備管理が仕事だった。ちょうど先任の人が辞めるというので、私も引き継ぎ業務をしていた。

一ヶ月の引き継ぎ業務の後、先任は退職。5月から独り立ちとなった。しかし、業務内容が全くわからない。今思い出してもどんな業務をしていたのか思い出せない(笑)…なかなかのストレスもかかっていたし、業務の進め方もわからない。そして、またストレスが溜まっていくのであった。

職場の関係が悪かったわけではないし、ほんわかとした雰囲気であったように思う。ただ、今考えると一日中パソコンと向き合い、人とあまり会話をせず、淡々と仕事をすることが性に合っていなかったのかもしれない。それがストレスの根底にあるように思う。

そして、私は適応障害を再発する。再び大きな黒い手が頭を鷲掴みし、私は出社できなくなった。

今回はもう2回目ということで退職をする気でいた。両親にも話し、了承を得た。あとは退職の希望を伝えること。それが最大の任務だった。

管理部の上司の指定した時刻に指示で会社に出社するものの、手の震えが止まらない。会議室で待っていたけど、やはり震えている。演技なのか病気の症状なのか。それもわからなかった。そして、上司の配慮で近くのカフェで話す事になった。

私は心の内を話した。私が思っていたこと、積もっていたこと。そしてこれからどうしたいのかということ。上司は理解を示してくれた。そして、私は退職することになった。

◯世界一周「ピースボート」

私は入社3日目で「数年以内に世界一周する」と思っていた(実話)。それは会社の研修が私に合わなかったのと、内定が最初に出たと理由で選んだ、自分のやりたくない仕事をしていたことが原因だったと思う。そんなとき、「じゃあ自分は何したいの?」と質問を自分に投げかけたとき、出てきた答えが「世界一周」だった。そして、なんとなく頭の中にあったピースボートが思い浮かんだ。

ご存知の方もいるかと思うが、ピースボートは世界一周のクルーズを企画している団体である。「世界一周129万円!」というポスターを見たことがある人もいるかもしれない。ちなみに熱海にもたくさん貼られている。退職を意識し始めたとき、私の世界一周の方法はピースボート一択だったように思う。

退職する半年ほど前から、私はピースボートに関わっていた。当時埼玉に住んでいたが、大宮にピースボートセンターがあるとのこと。そこに通うことにしていた。週に何回かみんな一緒にごはんを食べ、世界一周の夢を語る。同じ目標を持っている者同士、波長が合い、とても楽しい時間を過ごした。そして、段々と現実の社会人生活が私の歩む道ではないと思い始めた矢先、適応障害の再発が起こったのである。

◯今の妻との出会い

人の出会いというものは突然で、何がきっかけになるかわからない。私の妻は友達の企画する料理教室で出会った。管理部への異動、また、ピースボートと関わりを持った同時期である。最初は同じグループだったものの、何を話したかは全く覚えていない。また、印象もほとんどなかった。

しかし、なんのご縁か、翌週には飲み会、その翌週に付き合うことになっていた。個人的にも「この人と結婚するだろう」というよくわからない直感も働いていた。その4年後、現実になるのだけども。

自分の意識しないところで人と出会い、まさかのその人が伴侶になるとは思ってもいない。ただ、それが結婚におけるシンプルな答えのような気もする。人の出会いは意識できる部分とそうでない部分があるのかもしれない。

◯まとめ

・自分がそう思った瞬間から人生が変わり始める。

・直感は正しい。

・人の出会いもまたありがたい必然の中にある。

 

第九章 そして夢へ歩きだすへ続く