結婚における「普通」とは?

新しい靴を買ったら靴擦れを起こし、流血。

かかとが真っ赤になっています。

 

みなさん、こんにちは。

べぇでございます。

 

革靴を履いたのはいつぶりか

というぐらい久しぶりでなかなか慣れません笑

 

さて、タイトル。

 

ふと友人のFacebookを思うことがあったので気づきを徒然と書いてみます。

 

「理想の夫婦像」というか、この表現が正しいのかわかりませんが、世の中には「普通」という言葉があります。

 

好きな人同士で結婚し、子供を産み育て、家を買う。仕事はまぁ順調で、辛いこともあるけどそれなりにやりがいもあって、なんとなく楽しい。

 

ふと、そんな友人がいました。

 

私の中でそんな無意識な理想像があったのだなぁと気づきましたが、同時にその道を歩いていない自分がいることにも気づきました。

 

いつからかマイホームを欲しくなくなり、いつからか仕事もどこかの企業に勤めるようなサラリーマンではなく個人事業主になり。

 

「普通」から見たらどこかズレているような、そんな自分が出来上がっているわけです。昔思っていた普通が、今の普通とはだいぶズレている。そう気づいたわけです。

 

◯普通とはなんだろうか

みんなが思い描く普通と、今私が持っている普通は大きく違います。また、これを読んでいるあなたの普通もまた、細かい所では周囲とズレがあるはずです。

 

普通、普通というけれど、その普通は誰が考えているのか?また、その普通に対して、自分はどうしてそれを受け入れているのだろうか?そういうことをふと思うわけです。

 

今の時代、普通を追い求めることは並大抵のことではないように思われます。家を買い、安定した職業に就くというのは、まぁできないことはないけど、大きな不安がつきまとうかもしれません。

 

そんな「普通」という漠然としたものを、自分なりに考えてみるというのが結婚でも必要なことなのかなと思ったりするわけです。

 

◯「普通」の中の「自分らしさ」

社会の中にある普通に自分らしさが入っていなければ、それはきっと自分の道を歩いていないように思います。どこかで心の穴が空いていたり、なんとなく違和感を感じるものです。

 

社会の中にある普通に自分らしさというものは本来なくて、自分の人生を自分で歩くと決めたとき、自分の人生がスタートするのかもしれません。

 

まぁ私の過去の話をすれば、サラリーマンを辞めたときから、社会の普通からはじき出され、そこから世界一周なんてものに行って、ある意味普通ではない、自分の人生が始まったように思います。

 

サラリーマンが悪いと言っているわけではありませんが、少なくとも私の人生において、サラリーマンは普通の人生ではなかったのでしょう。

 

◯普通や思い込みを疑い続ける

「普通」というものほど、抽象的で曖昧なものはありません。誰かが決めた普通のために自分の人生の時間を投資するのは、なんだか苦しいものです。

 

どれが正しいとか、どれが間違っているとか、そういうことは本当は自分が全部知っているわけで、そう思ったときどう行動するかが、自分の未来を決めるのでしょう。

 

誰かが普通といったとき、その普通に根拠があるのか。また、その普通は自分にとって普通なのだろうか。そういうことを私は常に考えています。

 

思い込みにしても、気づいた瞬間、どうしてそれを考えたのかを考えるようにしていますが、なかなかやっぱり思い込みというのは外せないものです。

 

ただ、こと結婚にしても普通があり、思い込みがあり、それが自分の行動や心の苦しさを生み出しているのであれば、それに対してどういう行動や態度を示すかを決めなければならないでしょう。

 

それが私の課題でもあり、恋愛コンサルタントとしての役割のように思うのです。

 

◯まとめ

・「普通」は抽象的で曖昧

・大事なのは普通よりも自分らしさ

・普通を疑い、自分らしさを考える